「兄者」
「どうした?凶夜」
生み出されてから十六回季節を巡ったある暑い夏の日。
『七夜』は旅支度を整えていたと弟に呼び止められた。
「本当に旅に出るのか?」
「ああ。正直な話俺の技法は完成にはほど遠い。これを極めるには更なる修練が必要だからな」
「左様か・・・しかし、そうなれば沙夜がむくれるだろうな」
「それを言うな。だからこそ極秘裏に出ようとしているだろうに」
その時後ろから
「兄君様」
半分いじけているようなむくれている様な声が聞こえた。
「さ、沙夜・・・」
兄弟の後ろには彼らより少し年下であろう長い銀髪の少女がいた。
彼らの幼馴染であり、『七夜』の許婚、沙夜。
それがこの少女の名である。
「どちらへ向かわれるのですか?」
「い、いやなんだ・・・少し修行へ」
「その少しとは幾年でしょうか??」
既に泣く寸前の少女にたまらず弟に助けを求める。
しかし、肝心の弟もそ知らぬ顔で視線を合わせようとしない。
「い、いや・・・その・・・そ、そうだ!!帰って来たら祝言を挙げよう。な?」
苦し紛れに言ったその言葉で形勢が逆転した。
花が綻ぶ様に加速度的に笑顔を作ると『七夜』に抱きつく。
「うわっ」
「兄君様!!嬉しい!!」
「そ、そうか・・・喜んでくれて嬉しいよ・・・だから待っていてくれるな?」
「はい・・・幾年でも時の輪廻の果てまででもお待ちいたします」
そう言って彼から離れる。
「良いのか?兄者」
「構わん、どの道この修練が完遂した日には沙夜と祝言を挙げる気でいた。その決意が固まっただけの事」
「そうか・・・なら俺はもう何も言わんさ」
「ああ、『凶夜』後の事はよろしく頼む」
「ああ、兄者も気をつけてな」
そう言って七つ夜は旅立つ。
だが、その後この兄弟には過酷なそして残酷な運命が待ち構える。
「・・・ううう」
「志貴大丈夫か?」
「ああ、鳳明さん」
「時差ぼけだろうな、今夕方だ。もうすぐ夜だぞ」
「でしょうね。ただこれ位が丁度良い、これから向かいましょう」
「ああ」
俺達は今ドイツに来ている。
屋敷を後にし諸々の所用を済ませた俺はその足で飛行機に乗り現地に向かった。
無論アルトルージュ・ブリュンスタッドに会い、鳳明さんをお返しする為だ。
首都ベルリンからレンタカーを借りて、ひたすら西に向かう。
鳳明さんが『黒鬼死』の記憶で話した所、アルトルージュはドイツとポーランド国境付近の山岳地帯に自らの・・・というより鳳明さんとセルトシェーレの城を受け継ぎそこを拠点としているらしい。
ちなみに反対側のオランダ・ベルギー国境近辺には彼女と最も対立している白翼公トラフィム・オーテンロッゼが居城を構えているそうだ。
まあ、こっちは俺には関係無い。
と言う訳で俺が目的の地点に到着したのは深夜、満月間近と言った所だ。
彼女の『千年城』には結界らしい結界はついていないのか、あっさりと城内に侵入できた。
「妙だな」
「ええ、あっさりと入れますね」
その時不意に気配を察した。
「なるほどな」
「敵襲ですか・・・」
「大方、白翼公が来たのだろう。あの野郎、常にアルトやセルトを眼の仇にしていやがったからな」
「片付けますか」
「ああ、『凶神』を徹底的に身体に馴染ませるいい機会だ」
ぞろぞろと死者が俺に殺到してくる。
その数は五十余。
「・・・はっ、貴様等には『直死』すら惜しい。冥府の土産に取っておけ」
俺がイメージしたもの、それは海を統べる神にして八叉大蛇を滅ぼした闘神。
だが、その性格ゆえに太陽の神をも嘆かせた荒ぶる神『須佐ノ男』。
その瞬間、妖力が『凶神』を包み、瞬く間に巨大な刀と化した。
そして、それを横殴りに振り回すと同時に至近の死者は蒸発し、少し離れた場所の死者は身体が吹き飛ばされる。
まさしく一振りで全滅した。
「行きましょう」
「ああ」
時をやや遡る。
「姫様」
「リィゾ、どうしたのじゃ」
「はっ、この城目指して死者の群が」
そう言い、死徒二十七祖第六位『黒騎士』リィゾ=バール・シュトラウトが主である第九位アルトルージュ・ブリュンスタッドに報告を入れていた。
「また白翼公かい?」
「その様だ。しかし、しつこい」
僚友である第八位『白騎士』フィナ=ウラド・スベェルデンのややうんざりした口調に呆れた様な口調で答える。
アルトルージュの傍らで寝そべっている第一位プライミッツ・マーダーに至っては返事をする事すら億劫なのかただ欠伸一つするだけ。
「それで死者だけ?」
「いえ、何処でたぶらかしたのか十六位が」
しかし、その空気も一変する。
「なんだって?黒翼公??」
「ああ、間違い無い」
「あの陰険爺、そんなものまで投入したと言うのか?」
「そうなのであろう」
そこまで言った時、不意に屋根が吹き飛ばされた。
その頭上には巨大な黒き怪鳥。
死徒二十七祖第十六位『黒翼公』、『月飲み』の異名で呼ばれ死徒に対して強大な力を誇る死徒殺しの死徒、グランスルグ・ブラックモアの急襲だった。
それと同時に入り口が開き、そこから大量の死徒が殺到してきた。
「もう来たか、フィナ、私と十六位を」
「ああ、判っているよ」
「姫様はここでお待ち下さい」
そういい、リィゾは腰の魔剣『ニアダーク』を構えようとした時、死者達がまとめて吹き飛ばされた。
そして、そこを静かに上がってくる者がいた。
『凶神』を抜刀したままの七夜志貴・・・いや
「シュトラウト・スベェルデン、その馬鹿でかいくそ烏は俺が片付ける。お前達はプライミッツと共にアルトの護衛につけ」
志貴の肉体を借りた七夜鳳明がいた。
「志貴、最後に一つ頼みがあるんだが」
城内に入り侵入してきた死者をダース単位で片付け終えた後、鳳明さんが不意に俺に話しかけてきた。
「どうしたんですか?急に」
「お前の肉体を少し貸してくれ。あの子に危機が迫っているのなら俺が助けたい。八百年以上、父親らしい事をしてやれなかった自慰行為かもしれん。だがそれでも・・・」
「それでも彼女は鳳明さんの事を父親として・・・」
「それも判っている。だがな・・・それでもな」
「判りました。どうぞ」
「ああ」
その瞬間身体の主導権が入れ替わる。
「さてと・・・久しぶりに暴れるか・・・得物は『七夜槍』じゃないがその内慣れるだろう」
そう呟くと同時に志貴・・・いや鳳明の姿が消えた。
次の瞬間『千年城』は『黒鬼死』七夜鳳明一夜のみの復活の舞台と化した。
「ナナヤ・・・殿・・・」
「ち、父上??」
呆然とした表情で呟く娘達に俺は小さく笑いかけてから上空の化け烏を睨む。
「志貴借りる」
そう呟き俺は八百年ぶりとなる『直死』を解放させた。
忌々しいが懐かしい死線と死点が辺りに浮かび上がる。
「はははは・・・」
俺は嘲笑った。
あまりにも眼の前の化け烏の線の不出来さに。
それを侮辱と受け取ったのか一声無くと化け烏が俺を引き裂かんと迫る。
だが、遅すぎる。
『凶神』が一閃し、両の鉤爪を全て切り落とす。
それに驚愕したのか化け烏が上空に逃げ延び爛々とした真紅の眼を更に赤く光らす。
その瞬間、重圧が圧し掛かる。
「なるほど・・・固有結界『ネバーモア』・・・か・・・死徒の能力の殆どを封殺する・・・死徒には厄介だな・・・だが・・・生憎俺の身体は人なんでな」
俺はそれに構う事無く『凶神』を突きつける。
「それに・・・そんなもの俺には無意味・・・堕ちろ・・・くそ烏」
同時に『凶薙』で使用した『降臨』を十倍増しにした雷状の妖力が化け烏に命中、空しく地面に墜落する。
全身を痙攣させながら地面をもがくその姿はまさしく滑稽。
しかし、俺の眼には更に滑稽な死線から眼を離せない。
「貴様その線はなんだ?それじゃわざわざ殺してくれと言っているようなものだぞ」
嘲笑ったまま、俺は器用に駆け上がり次に両翼を切り落とす。
地面に這い蹲り、苦悶の声で鳴く化け烏に何の感慨も沸かない。
「黄泉路への六文銭代りだ。受け取れ」
俺は『凶神』を構える。
そこから四つの妖力が噴き出し、それは形を変え、姿を現す。
現れたのは仏教の世界で仏の世界の守護を司る四天王、『持国天』、『増長天』、『多聞天』、『広目天』。
それがそれぞれに守護する方角より包囲し、一斉に攻撃を開始。
獲物の運命は決まった。
瞬く間に引き裂き、殴り潰し、吹き飛ばし、遂には化け烏は灰と化した。
その威力は一体でも一級の概念武装推定四百発と同等だ。
それを至近から更には全方位一斉に食らえばひとたまりも無いだろう。
「くだらん、優劣を競うなら人を超える云々よりも己を鍛え上げろ。そうすればまだマシであったものを」
俺は『凶神』を鞘に収めてから『直死』を封印し志貴に身体の主導権を返す。
いや、返そうとした所で志貴に止められた。
(鳳明さん、説明は・・・)
ああ、そうだった。
さて、娘達にこの件を説明するとしよう。
「ナナヤ殿でございますか?」
「ああ、シュトラウト、以前と同じく志貴の肉体を借りている」
「父上、終わったのか?」
我が娘は察しがいい。
「ああ、そうだ。アルト。これから先俺はずっと一緒だ。もう寂しい思いをする事は無いからな。父さんも母さんもお前と一緒だ」
その言葉に嬉しそうに眼を細める。
「さてと、俺は志貴にこの肉体を戻してからアルトと一つになる。少し待て」
「父上、そのような事をせずとも志貴と言う者、妾が死徒とすれば良いのではないか?」
「アルト」
俺としては普通に話し掛けたのだが少し口調が厳しくなったようだ。
娘がびくりと震える。
「志貴にはまだしなくてはならない事がある」
「ご、ごめんなさい・・・父上」
素直に謝罪の言葉を出す娘の頭をくしゃっと撫でる。
「直ぐに終わるから待っていろ」
そう言って俺は改めて志貴に肉体を返した。
そして、別れの時がやって来た。
「鳳明さん・・・」
「志貴、すまん。本来ならお前の戦い、最後まで見届けたかったが・・・」
「いえ、大丈夫です。俺は一人で」
お互い涙は流さない。
お互い笑顔で送り出す。
かつて記憶と人生、そして魂を共有した者として快く送り出す。
一方は永かった別離の末にようやく再会し永遠に家族と共にいられる様に・・・
一方は間も無く始まるであろう決戦に躊躇いが起こらない様に・・・
「志貴・・・わかった・・・達者でな」
「ええ、鳳明さんも家族と末永く」
「ああ、志貴」
「鳳明さん」
「「さらばだ(です)」」
最期の別れの言葉が重なり鳳明さんは静かにアルトルージュの肉体に収まる。
「ああ・・・感じる・・・確かに感じる・・・父上も・・・母上も」
喜びに満ちた彼女の言葉を聞きながら俺はこの地を後とした。
「さてと・・・残りは五日か六日・・・」
このまま日本にとんぼ帰りしよう。そして・・・皆ともお別れしよう。
この戦いは俺だけのものだから・・・